2009.2.10 |
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『「新しい郊外」の家』出版記念企画対談「建築家 馬場正尊 × 編集者 菅付雅信」
2009年1月14日に発売された『「新しい郊外」の家』の出版を記念して、著者である東京R不動産のディレクター馬場正尊と、この本の編集を手がけた菅付雅信さんが対談をしました。どのようにして本が生まれたのか、房総に家を持つということ、そして「新しい郊外」の可能性について、本さながらに「素直」に語っていただいています。
菅付:
僕自身、去年結婚をして、引越しを考えたり、郊外へ行く機会が増えたんですけど、行ってみると湘南や埼玉のような近場の郊外でもすごく面白くて。都心にばかり住んでいる必要なんてないな、東京脱出したいな、と思い始めていたところだったんです。そんな時にちょうど馬場さんのブログ「房総の海辺に、土地を買ってしまった」を読んで、すごいビビッときたんですよ。
そこで去年の5月にブログにコメントをして、会って話をしていくなかで「本にしましょうよ」と僕が言って。家が完成するのが10月ということで、それなら競うように出しましょう! と。
馬場:
最初冗談かと思いましたよ。僕にとって菅付さんは「都会で活動する人」のイメージなんです。『コンポジット』や『インビテーション』の編集長をなさっていたし、極めて都会的なメディアを作っている印象が強くて。ご自身が出された『東京の編集』もそうだし。だから最初はびっくりしました。菅付さんのような人が郊外? って。でも同時に、菅付さんが同志なら頼もしい、僕は間違ってないんだ、と思ったんです。 その頃手がけてられていた仕事が、僕がイメージしていたのと全然違うタイプの仕事だったことも驚きました。当時どんな本を作っていたんですか?
ちょっとした気づきから土地を買って家をつくるまで、それに至った家族の経緯が書かれています。
菅付:
ケン・ハラクマさんの『ヨガから始まる』や、伊藤志歩さんの『畑のある生活』とかですね。最近、自分の中ではオーガニックな「食」というのが大きなテーマで。
僕は4年前に体調を壊したことをきっかけにマクロビオティックやヨガを始めているんです、そういった経緯でつきあう世界や仕事が徐々に変わってきて。
馬場:
それは僕が房総へ、と思ったのとシンクロするところがありますね。僕も体調を壊したことが理由の一つにあったんです。それまでは都会のなかでどわーっと仕事をしていくことに快感もあったし、そういう人生だろうなと思っていたんだけど、40歳が近づき始めたある日、あれ? と思い始めて。
房総は東京から1時間半。実は十分通勤圏。
馬場:
今まで僕のイメージの「房総」は、ワイルドで海中心の極めてアクティブなものでしかなかったのに対して、菅付さんは7000冊ほどもある蔵書の行き場に「房総」という選択肢を入れていたのが印象的で。
え! 湘南じゃなくて房総? そこで僕はふと気がついた訳ですよね。アクティブなイメージの房総のベクトルだけではなくて、例えばニューヨークとロングアイランドの関係性のような、「コミュニケーションするにぎやかな都会と創作活動をする穏やかな郊外」というもう一つのベクトルもあると気がつかされました。ロングアイランドはNYで活動する作家やアーティストがたくさん住んでいました。時間距離も一時間ちょっと。東京と房総との位置関係と同じくらいです。
実際に房総の賃貸棟の内覧会をやってみると、サーファーに混じって、映像制作をされている人とか、写真家の人とか、東京から見学に来ている色白な人達が案外たくさんいたんです。安いねーって言いながら帰って行かれたりして。「新しい文化」のポテンシャルを持つ人達がこのエリアに気づき始めている、ということを実感しましたね。
『「新しい郊外」の家』を編集した菅付雅信さん。 元『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』編集長。 出版からウェブ、広告、展覧会まで、さまざまな分野を"編集"する。
菅付:
馬場さんと異常なまでに素直で正直な本を作ろうと決めていて。ここまで建築家が自分の半生を恥部まで赤裸々に語ったことはないと思います。頼んだのは僕ですが本当にいいんですかって思うくらい(笑)。許容した奥さんも素晴らしい。
あとお金のことが全部書いてあります。よく建築関係の本を読んでいると「言いたいことはよく分かる。で、いくらなの?」って思う。建築本がふわふわしているのはお金のことが書いてない、だから普通の消費者には参考にならないんですよ。
房総の馬場家。デザインも見積もガラス張り?! (写真:DAICI ANO)
馬場:
今まで建築家が曖昧にしてきたことを、全部ありのままに書いてしまおう、と思ったんです。
それと同時に、郊外と都心を住み分けることが特別なことではなくて普通のことなんだ、と言いたかった。建築家が土地を買って別荘を建てて、二つも家を持って、ってなんだかすごいことのように思ってしまう。でも本当はリアルな夢というか、いや夢ですらなくて、合理的に金額を比較したら実現可能な訳です。都心のタワーマンションの下階の一室を買っても、6000万とか平気でするんですよ。計算すると月々のローンは30万位で、僕の場合は、房総の家のローンと都心のマンションの賃料を足しても25万です。僕にとってはタワーマンションの方がリアルに感じられなかった。というか、小さな設計事務所を経営している身では、そもそもそんな額のローンは組めませんから。だから、房総と東京、両方で暮らすことの金銭的なリアリティも証明したかったんです。ちゃんと借金もして。それを伝えるためには、全部書くより他なかったんです。
東京R不動産のディレクターであり、『「新しい郊外」の家』の著者、馬場正尊。雑誌『A』編集長を経て、2003年、建築デザイン事務所Open Aを設立。現在、設計活動、都市計画、執筆などを行う。 OpenA
菅付:
馬場さんは方法論を提示している建築家だと思うんですよね。手の内を明かしているから使っていいよって、新しくみんなが使える言語を示している。 すごく等身大だと思うんですよ。理論ありきではなくて、ちゃんと地に足が着いた生活者の目線がある。事務所をどこに作るか、どこでどう住むか、今日明日の事ですよね。そこがリアリティを感じるところなんです。
馬場:
まあ、それが僕の建築分野の中における役割のひとつだと思っているんで。あまりカッコよくないけど(笑)。
房総の馬場家の平面図。
馬場:
僕が具体的な設計活動を始めたのは結構遅いんですが、それまでは設計って難しいことだと思っていたんです。けれども実際はたいしたことではなくて、一つ一つの部材の組み合わせなんですね。結局今の世の中、ほとんどの物が既製品の集合体でしかない、設計をやってみてそれがよく分かった。房総の家でも既製品じゃないのは基礎と鉄骨で、それ以外は買ってきて組み合わせているだけなんです。特別な豪邸ではない僕らの経済感覚で住めるような庶民の家は、本当は単純なんだ、という感覚が読んでいる人に伝わればいいな、と。
あとローンに関しても、サラリーマンなら簡単なことだけど、フリーの立場からは難点がたくさんあって。ただポイントがあって、どこをどう押さえればうまく組めるのか、ということが分かってきた。こればかりは、経験して、いろんな壁に当たって、初めて分かりました。
そうして自分を実験台にしながら検証したことを書いたので、参考にしてもらえたら。
本には見積書がそのまま掲載されてます。
菅付:
この4ページもの見積書は、かなりインパクトありますよね。
馬場:
僕は仕事上よく見ているから新鮮じゃないので、これが面白いのか、と不思議な感覚ですが。この見積書は数字もそのまま、まるごとコピーです。施工会社の住所まで載っちゃっています(笑)。
僕らのような職業の人は時代の実験台ですよね。それをやることにしかアイデンティティがない。とりあえず自分を被験者にするということにリアリティを感じるし、早いし、なんせ楽しいですよね、実は。
夏の房総。家から数分で海に出る。
馬場:
都会での生活に対して、ぼんやりとした不安というか違和感がずっと溜まっていたんですね。そんな気持ちを抱えていた頃、茨城県守谷市に畑を中心とした家を設計する機会があって、その時に積極的に住む郊外を発見した人がいたんです。彼の発想はすごく素直で当たり前のことをやっているんだけど、自分にとっては新鮮で。そのことが今まで感じていたそこはかとない違和感とばちっと符合して、生活する場所は東京だけじゃないかもしれない、と気がついたんです。かといって仕事もあるから、完全に離れることもできないし、と考えて、「そうか、両方手にすればいいんだ!」と。
それがちょうど「リラックス不動産」を始めた頃ですね。そして湘南に行って値段の高さに愕然とするなか、房総に出会ったんです。あれ? 東京から1時間ちょっとでこんな場所があったんだ、もしかしたら僕が「新しい郊外」と概念的に感じていたところのすごく強いプロトタイプはここなんじゃないか、と思ったんです。
2006年に設計した「郊外の小さな農家」。
菅付:
情報インフラの整った今、特に頭脳労働の人にとっては、ほとんどのことがネットでやりとりできてしまうので、意味のある集い以外は都心にいる必要なんてないんですよ。
あとは、都心の高層ビルはヒューマンスケールから離れ過ぎて、落ち着かなくなってしまったことがあるかなと。やっぱり住み心地の基本はあまり変わらなくて、ヒューマンスケールから離れたものって、エンターテインメントとかアトラクションとしては面白いのかもしれないけど、実際にリアルライフとしてはあまり居心地がよくないのではないかという気がするんです。
馬場:
都市って近代の産物ですよね。頭で作られた世界、脳化していますね完全に。便利だし距離も近いし、合理的ですよ。でも合理的なものが正しいというのは近代が作った概念であって、その帰着点というか限界を見てしまった気がする。なんか腑に落ちないところがあったんだけど、やっぱり違うよねという感じが、昨年の金融ショックあたりから一気に露呈してしまった。
そこでもう一回、身体に聞くというか、脳だけではなく身体で考えてみると、都市でばかり生活しているということの限界みたいなものを感じて。 身体に素直になると郊外という選択肢は自動的に浮かび上がってくると思うんです。
馬場:
いろんな人に「新しい郊外」=「積極的に目的意識を持って住む郊外」という場所の存在に気がついて欲しかった。僕が、気がついてはっとしたのと同じように。僕にとっては「新しい郊外」で生活することが、様々なことを解決してくれるような気がしたんですね。
そしてこの気づきは「郊外」=「サバービア(suburbia)」という言葉が持っている独特の重たさ、暗さ、ネガティブさを反転できる、もしくは価値の読み替えができるのではないか、と思えてきたんです。
菅付:
郊外をアップデートみたいな感じですよね。
馬場:
そうですね、東京という都市を、その内部からだけ見るのではなくて、周縁も含めてもっと拡張して眺めてみると、もっと魅力的な使い方、楽しみ方が見えてくる。それもまた、もう一つの東京の姿だと思うんです。
「新しい郊外」の家 馬場正尊 (著)
編集: 菅付雅信
アートディレクション: グルーヴィジョンズ
出版社: 太田出版 定価: 1480円(税別)
ISBN: 978-4-7783-1154-4
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