そして、僕はひきこもる

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2ヶ月の長い旅行から帰ってきた僕には、広大な針のムシロが待っていた。
両方の親は、この2ケ月間に、誰が今回の「できちゃった事件」の相手なのかをすでに突き止めていた。さまざまな友人の情報筋を当たったらしい。
いつのまにか親戚になってしまっていた彼らは、何度か協議を重ね、この後どうするかを話合っていた。僕らが不在のまま・・・。
当然、親からは激怒され勘当同然、当たり前だ。
それからは極度の貧乏生活がやってきた。

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大学4年の冬頃。子どもは生後3ヶ月くらい。途方に暮れる毎日だった。

各方面からプレッシャーがかかる。
「これからの生活はどうするんだ、食わせていけるのか、籍はいつ入れるのか、大学は卒業できるのか・・・」どこに行っても質問責めで、その言葉は重荷となって積み重なっていった。21歳の僕は今ほど図太くもないので、いちいちそれに過剰反応した。もちろん彼女からも暗黙のプレッシャーが・・・。
いつのまにか、軽いひきこもり状態に陥る。
本当に、あの頃の僕は自分勝手だった。

彼女の出産を前にして、それまで住んでいたワンルームを引き払い、多摩に小さなアパートを借りて、初めての共同生活が始まった。
僕にとってはその変化もストレスだった。
まだ21歳、同棲などの経験もなかったので、いきなり他人(って、結婚する彼女だが)が自分の生活のなかに入り込んでくる。結婚とは、そういうものである、というリアリティも覚悟もないままに、どんどん現実だけがやってくる。

高校〜大学の6年間、僕は狭い部屋でまるっきり独りで、誰からも自分の領域を侵されることなく、半ひきこもり生活を過ごしていた。体がそれに慣れきってしまっていて、プライベートのなかに、他者が介入してくることに耐えられない。次第に彼女とのコミュニケーションがうまくいかなくなってくる。それと反比例するように、彼女のお腹はどんどん大きくなっていく。つきつけられる現実。

そして、僕はひきこもる。

こういう経験がある人、いますよね!?
頼むから誰か、「気持ちはわかる」と言って欲しい!
あの頃の態度について、今でも妻は僕を責める。
「なんて、自分勝手な人だったか・・・」
返す言葉もない。

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設備事務所でバイトした時期の後、大学院時代の写真だと思う。 奥にひきこもっている。

そんな中、僕は小さな設備系の設計事務所に職を見つけ、大学に通いながら働き始める。
彼女は大きなお腹のまま、堂々と女子大に通い続けた。「で、何か違和感ある?」と、周りの女子大生に言わんばかりの態度で。今考えても、まったく肝が据わっていた。
女の人は、覚悟した瞬間からおそろしい強さを発揮するようだ。頭が下がる。
ちなみに女子大の芸術系学科に通っていた彼女は、大学の卒業アルバムの「作品」のページに、自分の赤ちゃんの写真を掲載した。

時は、1990年代の頭。
まだバブル期の余韻が色濃く残る華やかな時代だった。
世界ではソ連が崩壊、東西冷戦が終結し、
テレビでは「東京ラブストーリー」が流行っていた。

しかし、そんなラブストーリーは僕らにはまったく関係なく、
ただ冷蔵庫を眺めながら、明日の食料に不安を抱いていた。


で、いつ房総の家の話になるんだろう・・・。

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コメント

はじめまして。

房総に家を探していてこちらのサイトにたどり着きました。

で、笑っちゃたんです。

うちも全く一緒の境遇。夫大学三年、自分二年(一年浪人済)でなんでだか子供が生まれたんですね。

いまだに他人と一緒に暮らすことが慣れないので早く大きなおうちを手にいれ、自分の部屋を取り戻したいです。

お家の完成おめでとうございます。

そんな人、他にもいるんですね。
しかも、大学2年と3年じゃ、僕らより上手だ。
で、そういう帆とは、なぜ房総に場所を求めるのだろう?
不思議です。

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このブログについて

東京R不動産のディレクターでもある馬場正尊が、ふとしたきっかけから房総に土地を買い、家を建て、生活を始めるまでのストーリー。資金調達から家の設計、周辺の環境や人々との交流、サーフィンの上達? まで。彼の人生は些細な気づきから、大きくそれていくことになる。馬場家の東京都心と房総海辺の二拠点生活はこうして始まった。

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著者紹介

馬場正尊